妹は幽霊ですが、なにか?

著者/仲野 ワタリ

第1話 【夜行バス~沙羅が見える!?】

プロローグ あの夏の日のこと

十二年前の七月。
 まだオレは六歳、小学校に入ってはじめての夏休みを迎えた日のことであった。
 なんといっても夏休み第一日目である。
 さて、なにをして遊ぶか。どんなわくわくが待っているか。
 普通の小学生なら、この世に生まれた幸せをこれ以上はなく噛み締めているはずであろうこのとき、オレは着たくもない黒いよそ行き着を身にまとい、一人庭先の草むらにしゃがみこんで、雑草やその下を徘徊するアリたちを所在なげに眺めていた。
 冷房を効かせるために窓を閉め切った家のなかからは、あいもかわらず子供の耳には正体不明の呪文としか聞こえない「オオオオオオーーーーッ!」という雄叫びをともなった妙ちきりんな祈祷が聞こえてくる。
 六歳のオレはついさっきまでいた仏間を思い出す。
 襖という襖を取り払ったその畳敷きの広間には祭壇が置かれ、集まった百人近い親戚や知人、近所の人たちがそれに向かってひたすら頭を垂れていた。
 ここまで言えば、家のなかでなにが行なわれているのか察しがつくだろう。
 そう、この日、我が家では葬儀が営まれていた。
 会場となっているのはうちの隣にある父の実家だった。父方の祖父母と伯父の一家が住むその広い屋敷に人々が集まり、死者を弔っていた。葬儀は神職が執り行なっていた。我が駿河家は代々お骨は檀家であるお寺の墓地に埋葬するけれど、葬式や結婚式などの祭事は神社にお任せするのが慣わしなのだ。古くから地元で日本酒の蔵元を営む家としては近所づきあいが大事ということで、そういう七面倒臭いことをしているのだった。
 問題は、神主さんの祝詞が終わってからだった。何日か前に来た「東京の親戚」とかいう人たちが「わたしたちにも」と、妙な祈祷を始めた。この人たちは着いた日も、その次の日もおどろおどろしい呪文を唱えてはオレをこわがらせていた。
 十八になったいまでもそうなのだが、オレは小さいころからこわいものが苦手だった。
 ゲームやフィクションの世界は別として、この身が直接触れる世界では幽霊だとかお化けだとか、またそれらを想起させるものがあればすかさず逃げてきた。この葬儀の日も例外ではなかった。
 目の前の祭壇には棺があった。
「子供たちに見せてはならん」
 祖父の命で、棺はかたく蓋で閉ざされていた。普通なら窓を通して見られる顔もすべて花で覆われていた。
 正直に白状しよう。
 会場の雰囲気よりも「親戚」の雄叫びよりもなによりも、オレにとっていちばんおそろしかったのは、この棺であった。
 棺のなかには死者が目を閉じて横たわっている。
 人の形をしていながら、もはやそれは目を開くことも口を動かして話すこともない。
 意思を持たぬ肉体は、オレに想像以上の恐怖を与えた。
 大人たちの話では、棺はこのあと焼かれるという。
 そう聞いただけでダメだった。
 焼かれていて、もし途中で目が覚めたらどうなるんだろう?
 一瞬でもそんなことを考えたが最後、オレはその場にいることができなくなった。
 たまらず席を立ったオレを四歳上の姉が見咎めた。
「犬千代、じっとしていなきゃダメ」
「お姉ちゃんが座れって言っているでしょ」
 ぐいっとオレの袖を引いたのは二歳上のもう一人の姉だった。
「お、おしっこして来る」
 隣にいた双子の妹は軽蔑したような顔でオレを睨んでいた。
「どうせこわいんでしょ」
「そんなんじゃないよ」
 横には従姉妹たちもいる。怖じ気づいたとは思われたくなかった。オレはこの家に何人もいる孫のなかで唯一の男子だった。
 姉の手から逃れたオレは、トイレに行き、そのまま外へと飛び出した。

祈祷が耳に入らない場所まで来た。
 振り返ると母屋は遠く、オレと棺との間には一面のなす畑が広がっていた。反対側の台地の先には遠く水平線が見えた。頭上には太陽が輝いている。オレの額はその陽光に汗で応えていた。
 やっと「夏休み」といえる場所に辿り着いた。
 この数日間のことはよく覚えていない。
 残っているのは断片的な記憶ばかりだった。
 家族にたいへんなことが起きて、病院に行った。最初、オレはそこにあるものを見て「起きるのだろう」と思った。だが、大人たちは「かわいそうに」とハンカチを顔に当てるばかりだった。なにかしきりに訴える母に、「いさぎよくあきらめろ」と祖父が声を荒らげて怒鳴ったことは覚えている。そこに「親戚」がやって来て、気味の悪い祈祷を始めた。泣いているオレを、東京から来た「親戚」の奥さんが慰めてくれた。まだお姉さんと言っていいような、とてもきれいな人だった。
「悲しいのね」
 奥さんは、そう言って包み込むようにオレの頬にふたつの手を当てた。あたたかな手だった。
 それしか覚えていない………
 暑い。
 なす畑の横には、それよりも背の高いミニトマトの畑があった。日射しをよけようとしているのか、足は勝手にそっちに向かった。
 オレよりも背の高いミニトマトの畑は、日射しからも大人たちの目からも隠れるのに最適だった。
 ミニトマトの房の多くは赤い実をつけていた。
「にーたん」
 声に振り向くと、一本の茎の陰から幼い顔が覗いた。
「沙羅!」
 妹の沙羅だった。
「なんだよ、お前も外にいたのか」
「うん」
 三歳の妹はお気に入りの花柄が入ったパジャマを着ていた。
「はい、これ」
 沙羅が突き出した両手には、赤く熟れた大小のミニトマトがあった。
「あーとっちゃったのか。怒られても知らないぞ」
「沙羅、にーたんと食べるの」
 妹はあどけない顔でニコッと笑った。いつも人を臆病者扱いして小馬鹿にしている二人の姉や双子の妹とは違い、こいつだけはオレを兄と慕いなついていた。そんな妹を、オレはもちろんかわいがっていた。
「しょうがないなー。おかあさんたちには秘密だぞ」
「にーたん、おっきいの」
「ありがとう」
 沙羅はオレに大きい方のミニトマトをくれた。まだ三歳ながら兄想いの妹だった。
「はい、沙羅、あーんして」
「あーん」
 オレは先に小さいミニトマトをつまんで沙羅の口に入れてやった。
「にーたんもあーん」
 オレも「あーん」してミニトマトを口に入れてもらった。
 ぐしゅっと口のなかでつぶれたミニトマトから、甘い果汁が溢れた。
「おいしいな。あれ?」
 見ると、沙羅が食べたはずのミニトマトが足もとにころがっていた。
「せっかくあげたのにちゃんと食べなかったのかよ」
 沙羅はにこにこしている。
「にーたん、あそぼ!」
「うん。なにして遊ぶ?」
 夏休みは始まったばかりだ。これから毎日、沙羅とたくさん遊んであげられる。
 風が吹いた。
 その風に乗って、かすかに家の方から祈祷が聞こえてきた。
「みんな、なにやっているんだろう」
 オレは沙羅の耳に口を寄せて、ひそひそ声で言った。
「沙羅はここにいるのにな」
「いるよ」
 妹が笑ってこたえた。
「沙羅、犬千代にーたんといっしょ!」
 オレはもう一度、家の方角を振り返った。
 祖父母の家の仏間では、いまも不慮の事故で世を去った妹・沙羅を弔う儀式がつづいていた。

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