その日、カズヒサはずっとこんな調子だった。
 落ち着かない。これから始まる事を考えると、自然とタバコの本数がいつもより増え、見飽きたはずの海をただじっと眺めるしかなかった。

 落ち着かない理由は他にもあった。いつものよれよれの紺のスーツに救命胴衣を着せられ、護衛艦に乗って南太平洋、マーシャル諸島の海上にいること自体が信じられなかった。しかしこれも作戦立案者の一人としては当然のことである。逆に、軍部からは現地に赴くのは危険と止められたのだが、自分がこの2年間研究してきた新種の生物の最後を見届けたいという思いで、乗船を願い出たのだ。

「できれば、一頭ぐらいは……幼獣ぐらいなら捕獲しておきたかったが……」
 そう呟き、カズヒサは頭を振った。あれが、プテリギオンが人類の手に負える代物ではないことぐらいイヤというほど知っている。

初めこそ、地球上に現れた未知の新種としてその保護を訴えていたものの、その猛威に対し、それどころではないことを思い知らされ、その生態から弱点を探るべく研究を重ねてきた。今回の作戦には現用兵器で歯が立たぬのなら、せめて静かに眠らせようという、カズヒサの意見も大きく反映されていた。

「もうすぐ、作戦開始時間です」
 先ほどの兵士がカズヒサに声を掛けたのは、それからしばらくしてからだった。自分の足元の更に下、海底には、各国から集結した潜水艦群が、指令が下るのを待っていた。

「今だに信じられんね」
「既に各艦、目標をロックオン状態だそうですよ。いつでもいけますよ」
 カズヒサはくわえタバコで報告を聞きつつ、海に目をやった。本当に世紀の大作戦が、こんな静かな海の下で行われようとしているとは、信じられないのだ。
「いよいよだそうです。博士、中へ」
 兵士が艦橋へと誘うが、カズヒサは首を横に振った。
「ここでいい。作戦が成功したかどうかだけ報告してくれないか」
 カズヒサの言葉に、兵士は静かに頷き、艦橋へと小走りに駆けて行った。

カズヒサの眼下にある海面が小さく揺れた。どうやら作戦が始まったようだ。やがて、海面がフラッシュを焚いたように光った。
「いよいよか……」
 いささか無念そうな表情で、カズヒサはタバコに火をつけ、光る海を見つめていた。
 しばらくすると、揺れは収まり、海は再び元の暗さに戻っていった。
「作戦終了です!」
「え?」
「アイスバー、プテリギオンの巣窟に全弾命中、順調に凍結中とのことです」
 艦橋から飛び出した兵士がカズヒサにそう告げると、再び駆け足で戻っていく。
「あっけない……」
 人類の英知を結集させた大作戦が足元であっさりと終了したことに、カズヒサは何だか可笑しくなり、いつの間にか口元を緩めていた。
 艦橋からは成功を祝う兵士たちの野太い嬌声が聞こえてきた。
「やったか、やったのか……」
 カズヒサはその声を聞きながら、ほっとしたような、そして少し残念そうな顔で、タバコに火をつけた。
「博士!」
 先ほどの兵士が駆け寄ってくる。ニカッと白い歯を見せて笑った顔は、一大作戦が終わったせいで、先ほどよりやや和らいだ表情に見えた。
「おめでとう」
「はい、博士こそ、ですが……」
「ん?」
 少しばかり兵士の顔が曇った、と、次の瞬間、甲板は大きく揺れ、右舷が大きく持ち上がった。

「くそ、なんてことだ!」
「まさか冷却弾が効かなかったのか?」
「違います、一頭、一頭だけが……」

グワアアン!

と、言い終える前に、甲板はさらに大きく揺れ、二人は海に投げ出された。

カズヒサは水面に叩きつけられ、どんよりとした夜の海の底に向かって沈んでいった。若い兵士の姿は周りにない。しかし、その代わりにカズヒサは海中に光る巨大な目を、そして護衛艦の船底を引き裂こうとしている巨大なヒレをはっきりと見た。
「……デカイな」
 その全長は60メートルほどはあるだろうか。今までモニター越しや遠方からの目視しかなく、至近距離で見るのはこれが初めてだった。
 少し手を伸ばせば触れそうな距離に自分がいる。触れてみたい、だがしかし、それも叶わぬことと、カズヒサは思った。
 巨大なヒレが巻き起こす渦に呑まれ、もはや自力で浮上することもできないまま、遠のく意識の中で、カズヒサは自分の運命を悟った。
「フ、お前たちを酷い目に遭わせた張本人にキツイお礼をしに来たのか……」
 そして家に置いてきた一人娘のことが脳裏をかすめた。
「ナミ……」

 数時間後。
 太平洋沿岸の小さな町。そこでは、いやそこだけでなく、世界中の至る所でプテリギオン封印のニュースが流れ、人々はお祭り騒ぎのようにはしゃぎ、生き残れたことをそれぞれが信じる神に感謝した。
 外がまるでお祭りのように騒がしい中、その少女はじっとリビングのテレビを見つめていた。
 ヘリからの空撮による国連軍艦隊の姿に被るように、興奮したアナウンサーの声が聞こえる。
 護衛艦1隻は襲われたものの、人類はプテリギオンに勝利した。そのような内容の言葉を、先ほどから何度も繰り返していた。

しかし、少し浮かない顔で、少女はその模様をじっと見ていた。

その手には一冊のボロボロのノートが握られている。
『……能美博士を乗せた護衛艦が襲撃に遭い、全乗員行方不明と……』
 その声に、少女の瞳から涙が一筋流れ、頬を伝い、落ちた。

そして12年後……。

 

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